愛はどこにある

あなたのことはそれほど』見ました。役名忘れちゃったので以下役者さんの名前で書きます。


結婚って大変ですね。あのパターンは相当特殊、てか普通ないんでしょうけど。というかないと信じたい。未来は明るいと信じたいです。

僕のバイト先は婚活バーなので、よく結婚と恋愛の違いを目の当たりにします。

結婚は「法に基づいた」パートナー契約です。あなたと私は法の名の下にこれから先の人生を添い遂げますよという契約。つまりどちらか一方が相手を不幸にした場合、それ相応のペナルティが課せられることになります。

恋愛は「感情に基づいた」パートナー契約です。あなたと私は今愛しあっているから、その間だけは一緒にいましょうねっていう契約。そこには義務も責任もありませんから、どちらかがその契約を解消したいと思えばすぐそうなりますし、ペナルティもありません。いわば無法地帯です。

あなたのことはそれほど』では、「結婚」した奥さんが「恋愛」をしている様子が描かれていました。オンナって恐い。

そして旦那さんもまた恐い。愛も過ぎれば狂気です。「結婚」した以上パートナーのことを幸せにするのは当然ですが、「恋愛」を「結婚」に持ち込んで厄介なことになるパターンの最たる例だなあと思います。

みなさんのお父さんお母さんを思い出してください。あなたのお父さんが屁をこいたとしましょう。お母さんはどう反応するでしょうか。「ちょっとお父さんなんてステキな屁なの❤️大好き❤😘」というお母さんであれば結婚生活はこれからも末長く続いていくでしょう。お幸せに。

ですが、ほとんどはこうでないはずです。「ちょっと...ほんとにやめて...」と怪訝な顔をするお母さんと、してやったり顔のお父さん、これが普通です。ここに、「恋愛」はあるでしょうか?おそらく、そこにはすでに「恋愛」は存在しません。

初めはお互いが好きで好きでたまらなかったかもしれませんが、何十年と一緒に生活していたらお互いの嫌なところなんて星の数ほど見えてきます。逆に今まで知らなかったかっこいい一面やかわいい一面を知る機会もまたあったでしょう。そういった場面を幾度もくぐり抜けて行くと、好きという感情はだんだん薄れていき、もっとかけがえのない大きな何かに変わっていきます。それが、彼ら彼女らを人生のパートナーとして結びつけていく素です。

屁をこいたから離婚する夫婦なんていません。でも屁が原因になって別れるカップルはいるかもしれません。

それは、「結婚」とは相手の嫌なところを受け入れることであり、「恋愛」とは相手の良いところだけを見つめ続けることだからです。

私の祖母は生前、祖父とケンカばかりしていました。なので当時小学生の僕は「じじとばばりこんするのかなぁ」なんて思ってました。

その数年後、祖母が倒れました。祖父はほぼ毎日祖母のところへ見舞いに行きました。しかし行っても交わすのは一言二言で、祖母は「特に用事ないなら帰ってけ」なんて言ってまたケンカ。どうしてこの2人は結婚したのかなあと僕は思ってました。 

でも祖父がいない時、祖母は僕の母に祖父は昔とてもかっこよかったんだと笑顔で話すことがあったそうです。

その数年後に、祖母が亡くなりました。久しぶりに家に帰ってきた祖母の前で祖父はあぐらをかき、何かをしゃべる訳でもなく、ただ無言でその顔を見つめていました。中学生になった僕はその時、ようやくこの2人を結びつけていた、言葉では言い表せないあまりにも大きな何かに気づきました。


とまぁ最後の最後で辛気くさくなってしまう昔話をしましたが、僕はこの2人みたいな「結婚」をみんなしてくれればいいなと思います。波瑠ちゃんと東出くんにもね。

ちなみに僕は当分「恋愛」を楽しみたいです。相手は綾瀬はるかがいいです。







帰ってきたゴジラ

私たちの、人類の敵が帰ってきた。


私は小さいころウルトラマンになりたかった。怪獣たちをバッタバッタとなぎ倒すその姿はまさに漢の中の漢である。


しかし、ウルトラマンに限らず、ヒーローが怪獣をやっつける、というお決まりの展開が続くと、ヒーローに飽きがくることがある。ヒーローが強すぎるという展開は、見てる方にも飽きがくるものだ。


そのため敵の怪獣たちは毎回個性的でそれなりにヒーローを苦戦させるものが登場する。中にはヒーローではなく怪獣を応援してしまうような魅力的な怪獣たちもいる。


今回のシン・ゴジラはというと、ヒーローはもちろう人間たちだ。そして敵はゴジラ、だけではない。

人間もまた人間の敵であるために、今回のシン・ゴジラにアクセントを加えている。

シン・ゴジラに登場するゴジラとは、まさに現代の世界に起こりうるすべての天災、人災の化身である。つまり、ゴジラそのものによる破壊だけでなく、米国による圧力と国民保護との間で板挟みになる2代目総理の苦悩などもまたこの物語に登場する敵であるのだ。

今作に登場するゴジラは歴代最高の絶望感を人々に与えたと言ってもよい。ゴジラが熱線を放出するシーンでの無力感は言葉では言い表せないほどである。また真っ暗な夜に一筋の閃光が現れすべてを燃やし尽くすその光景には美しさがあり、無力感と美しさが同時に存在するシーンはまさに必見である。

今作は賛否両論あるが、私的には満足のいくものであった。








グリーンマイルを見て

この映画を見て思ったのは、ジョンにとって死は、自分のために生きられる唯一の救いなのだということだ。彼は人に奇跡をもたらす力のために、今まで誰かのために生きてきた。しかし、彼は今までその力のために、きっと様々な人間の汚い部分を見てきたのだろう。そんな人間の社会に疲れた彼が自ら死を受け入れ、活動写真にかじりつくように見入るシーンは、まさに彼が自分のために生きたいと願ったシーンだったと思う。

グリーンマイルを見て

この映画を見て思ったのは、ジョンにとって死は、自分のために生きられる唯一の救いなのだということだ。彼は人に奇跡をもたらす力のために、今まで誰かのために生きてきた。しかし、彼は今までその力のために、きっと様々な人間の汚い部分を見てきたのだろう。そんな人間の社会に疲れた彼が自ら死を受け入れ、活動写真にかじりつくように見入るシーンは、まさに彼が自分のために生きたいと願ったシーンだったと思う。